最近の「もんじゃ」は、私から見れば「もんじゃの様な物」で
私の中の「アノもんじゃ」ではありません。
monja09.jpg

(これは「現代もんじゃ」です。)

昔のもんじゃとは、似て非なるものです。
では、昭和30年代の駄菓子屋のもんじゃの秘伝レシピーをお教えします。

「材料」
1、(昭和30年代当時)台東・荒川・北区周辺の住民の健康維持の為に塩素のタップリ入った三河島浄水場(いまは、こ洒落たネーミングにして三河島水再生センターというそうですが、浄水場は浄水場です!)の水道水を多めに。塩素のピリピリ感が隠し味になります。どうせ蒸発しちゃうのだから分量はいくら多めでも関係ありません。

2、ほんのチョッとの小麦粉、どうせ色づけと粘りをだすためだけだから、ないときは極僅かの障子のノリでも構わない。但し、わるガキ共が「オバサンん!これ粉はいっていないのじゃない!!」って文句を言わないくらいの色づけと粘り程度でよし。

3、ほんのチョッとのキャベツこれは目に見えるのでわるガキ共をごまかすのが難しいけど葉っぱの部分はもったいないので「芯」の部分を細かく切ってごまかすか、どうせわからないから白菜の「芯」を細かく切ってもいい。

ただし、まったくミドリがないとわるガキ共が「これキャベツはいってるのぅ?」と疑いの目でみることもあるのでほんのチョトだけ葉の部分をいれる。または、これで内容物の「偽装表示」にはならない。とっても良心的な商売です。

4、調味料は塩だけ。子供達の健康を願ってあげて1ヶ月前から神棚や仏壇にのっていた塩を極僅かでも全く構わない。

問題は、わるガキ共がもんじゃを焼くときにテーブル上のソースをもんじゃ本体の味のなさをカバーするためにボジャボジャといれるので最初からビンの4分の1ほどしかいれておかない。

そしてそれもどうせ蒸発しちゃうのだから、ソースの原液1に対して三河島浄水場の水1の割合にする。わるガキ共が「オバちゃんソースないよ!といわれたら。「ソースをあまり食べるとバカになる!」などと、訳わからないことを言って絶対にソースを追加しない!

これが子供達が将来、高血圧にならないように気を配ってあげる心配りです。おかげで、私は55歳の今でも血圧は80から130の間です。これも、あの駄菓子屋のババぁ、おっと、失礼しました。超高齢女性オーナー経営者のおかげです。以上

「ちなみに、容器は、端のかけたご飯茶碗か湯飲み茶碗。
どうせ、わるガキ共に割られるので間違っても割れていない器を
つかわないこと。ミケさんやポチさんと共有でも全くも問題なし。
三河島浄水場の強力な塩素がどんなばい菌も殺菌してくれるからです。」

つまり、アノ当時の駄菓子屋の「もんじゃ」とは、鉄板で水道水で割った極僅かの小麦粉の水溶液にソースをボジャボジャといれて、鉄板上で焦がしソースの味を邪魔しない程度にポツポツとキャベツのような物が点在している鉄板上の「コゲ」の事をいうのです。

2 thoughts on “昭和30年代の駄菓子屋のもんじゃの秘伝レシピー”
  1. なんだか知らないけどとっても感動した(*´▽`)!
    本物を食べてみたくなりました(苦笑)

    1. ぽぽさん、むか~しの記事にコメントありがとうです。
      こんな記事あったんだ~!そしてこんな謎な記事、誰が書いたんだろう( *´艸`)
      バタコもちょっと感動してしまった(笑)
      障子のノリはやめておこう(*;゚;艸;゚;)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です