谷中霊園を散歩していると、不思議な事に気がつきます。
よく見ると、霊園のそこかしこに「とんがった石」数学的な言い方すれば「四角錐」型の大きな石がたくさん見かけられます。
言問通りから、徳川慶喜公の霊廟にいたる道には路肩に車止めとして並べられてもいます。
途中の放置自転車の保管場所にも大きな石が沢山積み上げられています。そして、その殆どが「とんがった石」なのです。
(ちなみに、「とがった」ではなく「とんがった」です。)
調べたところ、これらの石は「石垣」のパーツだったのだと思われます。
江戸時代になってから造られた石垣は基本的に大体「四角」になっています。しかし、その後ろの部分は写真のように「錐状」になっているようです。
上野に住んでいると、アノ形の石は上野の山ではそこかしこで見て何も珍しく思わなかったのですが。
上野戦争(戊辰戦争)の戦乱で破戒された寛永寺の多くの伽藍の名残だと思われます。
寛永寺の第二霊園内には今でも立派な石垣が残っています。
谷中の町にもよくみると立派な石垣がところどころに残っています。
また、京成上野駅から西郷さんの銅像に行く2つ目の階段の両脇も立派な石垣があったと記録に残っています。
こんど上野の山や谷中をお散歩なさった時は、とんがった石を見つけたらこれらの石が整然と積み重なっていた立派な石垣があった、寛永寺境内の昔に思いをはせてみてはいかがですか。
ちなみに、第二霊園の石垣は「篤姫のお墓」のすぐ傍ですよ。